2025-09-22 コメント投稿する ▼
百田尚樹が竹上裕子離党を批判 日本保守党の比例議席めぐる対立
東海ブロックの場合も同様であり、日本保守党は5人を候補として名簿に登載しました。 この仕組みによって、日本保守党は比例代表で党名投票が可能となり、党勢拡大に向けて活動しました。 結果として当選し、日本保守党として初めて衆議院に議席を得る形となりました。 そのため、党側は「この議席は党のものだ」と考えやすい構造になっています。
日本保守党の成立と選挙制度上の制約
日本保守党は2023年9月に百田尚樹氏らによって設立されました。設立当初は政党要件を満たしていなかったため、公職選挙法上は政治団体として扱われました。このため、小選挙区と比例代表の重複立候補が認められず、候補者の戦い方に制約がありました。比例代表においては、各ブロックで定数の5分の1以上の候補を届け出なければ党名での投票が認められません。東海ブロックの場合も同様であり、日本保守党は5人を候補として名簿に登載しました。
供託金の総額は制度上、1人600万円を基準とするため、5人を立てれば3000万円が必要になります。百田代表が「1議席のために3000万円を注ぎ込んだ」と語る背景には、この制度的な負担がありました。さらに選挙運動費用も別途必要であり、創設間もない政党としては極めて大きな投資でした。
この仕組みによって、日本保守党は比例代表で党名投票が可能となり、党勢拡大に向けて活動しました。国政政党の扱いではなかったものの、制度を使いこなすことで存在感を示したといえます。
竹上裕子議員の当選と党の主張
竹上裕子氏は1960年生まれで、2024年10月の衆院選に比例東海ブロックから名簿1位で立候補しました。結果として当選し、日本保守党として初めて衆議院に議席を得る形となりました。百田代表はこの議席を「党が勝ち取った議席」と強調しています。名簿順位に基づき、党の投票総数が一定に達したことで割り当てられたものであり、個人の得票ではなく党全体の支持による当選でした。
そのため、党側は「この議席は党のものだ」と考えやすい構造になっています。百田代表は竹上氏の離党に際し、議席を返上することが筋であると主張しました。制度上は議員の地位は個人に属するため、離党しても議員であり続けることが可能ですが、道義的な観点から「返すべき」との意見は根強く存在します。
離党届提出と党内外の反応
2025年9月、竹上裕子議員は日本保守党に離党届を提出しました。これに対し、百田代表は強い批判を展開しました。党側は「事前に挨拶もなく突然離党届を出したこと」「党運営の不満を理由に挙げているが、これまで一度もそのような発言を聞いたことがないこと」「離党の情報を外部メディアに先行して流したこと」を問題視しました。
「議席を得られたのは党の努力によるものであり、個人のものではない」
「離党するなら議員辞職して議席を返すべきだ」
「党運営への不満など聞いたことがなく、後付けの言い訳にしか聞こえない」
「突然の離党届は礼儀を欠いている」
「党の信頼を傷つける行為だ」
こうした発言が相次ぎ、SNS上でも賛否が巻き起こりました。党支持層の中には「裏切り」と受け止める声が強く、竹上氏を擁護する意見は少数派でした。ただし制度的には離党議員に辞職義務はなく、強制力を伴わないことも指摘されています。
比例代表制度と議席返上の是非
比例代表での当選者が離党する場合、議席を返上するか否かはしばしば議論になります。制度上は当選者本人が議席を保持するため、離党後も議員として活動することは可能です。過去にも複数の比例議員が離党後に無所属や別の政党で活動した例があります。そのため「筋論」と「法制度」が乖離しているのが現実です。
今回の事案は、創立間もない政党が巨額の供託金と労力を投じて得た最初の議席という事情があるため、百田代表の感情的な反応も理解できます。しかし一方で、竹上氏に議員辞職を強制する根拠はなく、党と本人の間で見解が対立する構図になっています。
この問題は、比例代表制度のあり方や、議員と政党の関係性を問い直す契機ともなります。党が「議席は党のもの」と考える一方、制度上は個人が保持する。両者のギャップが露呈したといえるでしょう。今後、日本保守党の対応次第では、党内結束や有権者の評価に大きく影響する可能性があります。