2025-10-14 コメント投稿する ▼
南城市長セクハラ報道 “被害訴えと反論”の隔たりを検証せよ
被害側証言の信憑性、市長の反論の合理性、第三者委の調査過程、いずれも丁寧に検証する必要がある。 実際、報道の多くは地元媒体の一方的被害者視点で、古謝市長の反論を十分に反映していないとの批判も根強い。 例えば、告発者の“彼氏はオール沖縄の活動家”という投稿をあたかも信憑性ある情報のように扱った報道や、告発女性の主張を中立性を欠いた文脈で繰り返す報道には、慎重さを欠くものが混ざっているという声がある。
告発女性と古謝市長の主張に隔たり
南城市の古謝景春市長(70)を巡るセクハラ疑惑問題で、告発者と市長の主張には大きなズレがある。被害者側は「抱きつかれた」「キスされた」「部屋に呼び出された」など具体的な描写を訴える一方で、古謝市長側はその多くを否定し、誤解だと言い張る。第三者委員会が「すべてあった」と認定して辞職を提言したが、市長自身は依然として自らを無罪と主張し、議会解散という強硬措置まで選んだ。被害側証言の信憑性、市長の反論の合理性、第三者委の調査過程、いずれも丁寧に検証する必要がある。実際、報道の多くは地元媒体の一方的被害者視点で、古謝市長の反論を十分に反映していないとの批判も根強い。
報道の偏りと情報源のリスク
沖縄の新聞・テレビは過去にも、地域内の権力構造と癒着しやすいという批判がある。政界・行政との距離が近く、被疑者側への反論機会を報じにくい構造を抱えているとの指摘もある。今回の古謝氏報道にも、その影響が出ている可能性がある。例えば、告発者の“彼氏はオール沖縄の活動家”という投稿をあたかも信憑性ある情報のように扱った報道や、告発女性の主張を中立性を欠いた文脈で繰り返す報道には、慎重さを欠くものが混ざっているという声がある。読者として、記事を鵜呑みにするのは危険だ。特にセクハラのような構成的に力関係が絡む事案では、すべての主張を丁寧に対比し、裏づけを確認すべきである。
中立的検証の視点――最低限確認すべき4点
まず、告発者証言の一貫性と変遷を追うべきだ。時間の経過で訴えが変化していないか、現場の物理的証拠や第三者証人は存在するかを確認すべきだ。次に、市長側の反論内容を精査する。否定できる反証があるか、誤解だという説明が合理的かを検討すべきだ。三つ目に、第三者委員会の構成・調査手法・中立性を精査せねばならない。構成メンバーに偏りはなかったか、聴取記録や根拠は公開されているかを確認する。最後に、報道機関の編集態度を注意深く見ることだ。被害女性と告発文言を先に出し、市長反論を後追いで扱う構成は構造的な印象操作になりうる。
読者と市民に求められる態度
この南城市長問題は、地方政治と性被害、権力と報道の関係を問う事案だ。だが、被告側・被害側双方の言い分が大きくかけ離れている段階で、被害者だけを“正義”的に扱う報道には慎重になるべきだ。市民として求められるのは、報道を受け身で信じるのではなく、自ら主張を比較検討し、疑問点を持つ視点だ。報道には力があるが、報じられない反論や隠された証言もあり得る。いま最も必要なのは、両者の主張が公開されたうえで、公正な検証を徹底するメディア報道だ。
改めて言うが、告発女性を責めるつもりはない。被害訴えは尊重されるべきだ。ただし、報道機関も権力と一体化しがちな地方では、“反体制的な被害者正義”の構図に流されず、慎重な対応が不可欠だ。今後、告発者・古謝市長双方の公開論戦、証拠開示、反証機会の保証こそ、事実解明への道だ。