2025-12-05 コメント投稿する ▼
旧ソ連抑留死亡者10人新たに特定、戦後80年で総計4万2217人に
今回特定されたのは、シベリア地域で1人、モンゴル地域で2人、その他地域で7人となっています。 戦後80年を迎える2025年、多摩大の小林昭菜准教授(日ソ関係史)の調査によると、スターリンが1945年8月に出した捕虜の移送命令は人数を50万人としていたが、実際に捕らえられた日本人の数は61万1237人に上ったとされています。
戦後80年の節目に新たな判明
旧ソ連抑留死亡者10人を特定、遺族への情報提供に向け進展
厚生労働省は2025年12月5日、終戦後に旧ソ連によって抑留された日本人のうち、新たに10人の死亡者を特定し、氏名と出身地をホームページで公開しました。これにより、抑留中の死亡者として特定された人数は総計4万2217人に達し、戦後80年の節目を迎える中で、継続的な身元確認作業の進展が示されました。
地域別の内訳と遺族への支援
今回特定されたのは、シベリア地域で1人、モンゴル地域で2人、その他地域で7人となっています。これにより、シベリア・モンゴル地域での特定者数は4万1170人、その他地域での特定者数は1047人となりました。
特定された10人は以下の通りです。シベリア地域では高知県出身の山崎親章氏、モンゴル地域では宮崎県出身の福留重作氏と三重県出身の今井重一氏が判明しました。その他地域では、広島県出身の佛崎敏昭氏と浜田光子氏、茨城県出身の山田義行氏、大阪府出身の松田好子氏、福井県出身の森田喜三郎氏、大分県出身の下岡英夫氏、香川県出身の野﨑広美氏の身元が特定されています。
戦後80年という節目の年において、各地の遺族からは複雑な思いが寄せられています。SNSでも家族を探し続ける遺族の声が投稿されています。
「祖父の消息がようやく分かったが、80年という長い時間を思うと複雑です」
「父がシベリアで亡くなったことを知ったのは戦後何十年も経ってから」
「名簿で見つけた時は涙が止まらなかった。やっと帰ってきてくれた気持ち」
「戦後生まれの私たちには想像もできない苦労だったと思う」
「80年経っても調査を続けてくださる関係者の方々に感謝です」
継続される身元確認作業
厚生労働省は、日本側保管資料とロシア連邦政府等から提供された資料との照合調査を継続し、身元が特定された場合には関係遺族に資料の主な記載内容を随時通知しています。この地道な作業により、長年にわたって行方不明とされてきた家族の最期が明らかになり、遺族にとって重要な情報提供が続けられています。
ソ連側(現ロシア政府)はこれまでに約4万1千人分の死者名簿を作成し、日本側に引き渡している状況です。しかし、シベリア抑留者支援・記録センターによると、約6万人以上が亡くなったとされているものの、現在でも詳細は明らかになっていないのが現状です。
戦後80年を迎える中での課題
戦後80年を迎える2025年、多摩大の小林昭菜准教授(日ソ関係史)の調査によると、スターリンが1945年8月に出した捕虜の移送命令は人数を50万人としていたが、実際に捕らえられた日本人の数は61万1237人に上ったとされています。想定を大幅に上回る抑留者数により、ソ連側の受け入れ体制も限界に達していたことが、多数の犠牲者を生む要因となったと専門家は指摘しています。
経験者の平均年齢が102歳となる中、実態解明の加速が求められている状況です。当時を知る生存者がほとんどいなくなった今、資料による調査の重要性がますます高まっています。
追悼の取り組みと記憶の継承
シベリア抑留者支援・記録センターは、スターリンが1945年8月23日に「日本軍捕虜50万人の受け入れ・配置・労働使役について」という秘密指令に署名したことから、毎年8月23日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑で追悼の集いを開催しています。戦後80年の今年も開催され、抑留経験者や遺族、国会議員など約180人が参列し冥福を祈ったと報告されています。
舞鶴引揚記念館が所蔵する「舞鶴への生還 -1945~1956 シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録-」は2015年にユネスコ世界記憶遺産に登録されており、国際的にもこの歴史の重要性が認識されています。
遺族支援と今後の展望
2010年5月に「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法(シベリア特措法)」が成立し、抑留された期間に応じて元抑留者を5段階に分類、25万円から最高150万円を一時金として支給する制度が整備されました。しかし、多くの抑留者がすでに亡くなっており、遺族への支援や情報提供の重要性がより高まっています。
多摩大の小林昭菜准教授は「想定より10万人以上多い捕虜を抱え、移送中に衰弱する人もいたほか、収容先での栄養状態が悪く冬の装備も不十分だった。飽和状態の収容所もあり、敗戦によるストレスや飢え、重労働、感染症など重層的な要因で、体力のある若年層も亡くなっていった」と分析しています。
今回の10人の身元判明は、戦後80年という大きな節目において、過去の悲劇を風化させずに記録し続ける重要性を改めて示すものです。厚生労働省は今後も継続的な調査を進め、一人でも多くの抑留者の身元確認と遺族への情報提供を続けていく方針です。遺族の方々にとって、長年の謎が解けることで心の整理がつく一方、改めて戦争の悲惨さを実感する機会にもなっています。